c_danka1_2w1.gif  ダンマパダ(法句経)に学ぶ

ダンマパダを終えて

ラブガマ・ナーラダ(青松寺獅子吼林サンガ)

今年の二月から金子真介老子の講義を中心に開始した青松講座「ダンマパダ(法句経)にまなぶ」は先月29日にその最終回を迎えた。ダンマパダ全体を解読するには短期間だったが、しかし、日本では一般に知られていないパーリ仏典と触れることに大きな意味合いがあったと思われる。講座を終え、この数ヶ月間ダンマパダを読みながら気づいたこと、その仏典が持つ重要性について改めて考えてみたい。
ダンマパダは、スリランカをはじめ、東南アジア諸国の仏教信仰者において一冊の手本である。その中でダンマパダと自分が出会えた最初のきっかけは十歳の時の出家であった。スリランカでは得度を受ける前の数ヶ月間、複数の経典を暗記しなくてはならず、当然ダンマパダもその内の一つである。もちろん、経典を暗記することは得度以降も続くことで、基本的に二十歳になって「具足戒」(=正式な比丘になる為の授戒)を受けることで一つの区切りが付く。具足戒を受ける比丘は、戒壇の一人の高僧からそれまで自らが暗記してきたそれぞれの経典の中から一部分を聞かされ、それを受けて全体を答えられることが、具足戒を受けられる第一の条件となる。私にとって、今でも緊張感に溢れたその経験は生涯忘れがたく、大勢の親類に囲まれ高僧の前でダンマパダを唱えていたことを昨日の事の様に鮮明に覚えている。
しかしダンマパダが自分に身近なものと考えさせられた一番の理由は、そこに具えられている数多くの徳性である。すなわち、「宗教的概念(信仰・救い)」をはじめそれぞれの「人生観」、そして心理や世界論を問う「哲学的概念」等あらゆる分野のことだ。
ダンマパダの諸々の因縁話を通し、周囲の人々や社会との関係性の中で常に存在する身近な出来ごと再会しているような気がする。それと同時に人生において絶え間なく生起する様々な出来事(幸福・不幸)の拠り所は自らの行為次第にあるということも考えさせてくれる。ダンマパダの登場人物やそこに描写される社会背景は、「過去だけに限る」、また、「一定の地域や民族だけに限定する孤立された事柄」では決してない。まさに我ら周辺の社会、そして自分自身の姿もこれらの物語のどこかに内在されているような気がする。
本来、ダンマパダが持つこのような徳性を把握し、読み解く努力が重要なことである。当然、その作業は仏教の姿を透明化すると同時に社会原動力の基盤にもなるであろう。言い替えてみれば、ダンマパダそのものが、仏教の普遍性を主張しており、まさしく現代人に語りかける最良の仏典であるといっても過言ではない。
最後に、この数ヶ月間、多忙の中でダンマパダのご講義をおつとめくださいました金子真介師をはじめ熱心に参加、聴講された皆様、そしてこの会を支えて下さった皆様に感謝し御礼を申し上げたいと存じます。

合掌
                               平成20年師走

青松講座Ⅱ 目次

■ 開講の辞
■ 講師:金子真介師からのメッセージ
■ 講師:ラブガマ・ナーラダ師からのメッセージ
■ 参加要項
■ 講座日程

開講の辞

私たちはこの一年間、この悩み多き世間という大海原を、仏教を灯火として人生を航海するため金子真介老師に講師としてお出で頂き『般若心経』を学んできました。
その結果、解ったことは、「人間は宇宙のリサイクルという仕組みの中で必要があって生まれ、必要があって人体を成し、必要があって生かされ、必要があって死を迎える。」ことに目覚めるならば「一切の苦厄から解放されて日常生活につとめられる」ということでした。
ここで仏教の原点にかえってみましょう。
釈尊は、悩める人々の問いかけに対して短い言葉で人間の真理と生活の指針を説いたとされます。その教えは、『ダンマパダ(法句経)』というパーリ語の詩集となり、世界の国々で訳されて愛唱されてきたのです。

 汝 おのれの灯(あかし)となれ
 すみやかにいそしみて 賢き者となるべし
 けがれをはらい 著(まよい)をはなれて
 とうとき 聖地(さかい)にいたるべし
 (友松圓諦師訳)

‘自らを灯りとせよ、法(真理)を灯りとせよ’と、釈尊は自らが亡きあとの生き方をまよえる人々に遺されました。自らを灯りとするために、ここに青松講座Ⅱ「ダンマパダ(法句経)にまなぶ」を開講いたします。

tibetto.gif金子真介師からのメッセージ

仏陀に帰れ

061209kouza2.jpg平成19年も複雑な後味を残して過ぎ去り、又新たな年を迎えようとしている。今年の世相を表す漢字として選ばれたのは「偽」であった。どうやら複雑な後味の悪い原因の一つが、偽ものの横行と云うことだったようである。 
社会に偽物が横行すれば人々は不安の中に暮らさなければならない。しかもその様相は年ごとに、より深刻化しているように感じられる。 
その様な不安の世の中を生き抜くためには、真偽を見極める眼と偽物に対応す
る術を身につけることが重要である。見極める眼と対応する術のことを仏教では「智慧」と云う。釈尊が説いた「智慧」を後世に伝えるため編纂されたものが『仏教聖典』である。しかしながら、嘆かわしくもその聖典が葬式法事の道具と化しているのが日本仏教社会の現状である。その原因の一つに聖典の語句の難解さが挙げられる。それは聖典が原語から漢訳されたものを日本語として読むからである。
『法句経』は原語から直接日本語に訳されたものである。この聖典は全423の短い詩文形式からなるもので、お経というより、釈尊から我々への箴言集ともいえるものである。その内容とは、釈尊が弟子や在俗の信者達に、折々に説いた求道者の生活の用心集で、極めて分かり易く、且つ具体性に富んでいる。同時に釈尊の肉声を耳にするかのような親しみさえおぼえる聖典でもある。
社会の多様化と同じく、多様化する日本仏教に対して、私は予々「仏陀に帰れ」という思いを持っていた。今こそ多様化故の真偽の見極めと、多様化社会を生きる術を、仏陀の肉声に込められた「智慧」に求めることが、不安の時代を生き抜く為の備えといえるのではないだろうか。
共に『法句経』を学びながら新たな年を生き抜きたいと願っている。   

                       平成19年師走23日    金子眞介

■ 講師:金子真介師のご紹介

長崎県 禅心寺住職、「生と死をみつめるセミナー」代表
青松寺授戒会で、現代における生と死の問題をお話しなされた金子真介師が講師をおつとめくださいます。

tibetto.gifラブガマ・ナーラダ師からのメッセージ

原典と解説にあたって

「仏陀の教えに付き従って生活を営む者は、その教えに守られる。」と、ある仏典に書かれている。正しく、仏典を読めば読むほど、そのことが実感できる。お釈迦さまは私たちの為に何を説いていたかを改めて考えてみたい。
今年一年はそれを目標とし、仏教に触れる一年であるよう、私は心から願っている。

参加要項

お申込み・
お問い合わせ

※前日までに電話、又はメールにてお申込ください。
当日になってからの参加希望は、直接受付にてお申し出ください。
【電話】03―3431―3514
【Mail】seisyouji@basil.ocn.ne.jp
その際には、以下のことをお伝えください。
①氏名
②連絡先(お電話番号・ご住所)
③参加動機
④青松寺檀信徒の方、青年僧の方、一般の方
参加費
500円
会場
     
青松寺観音聖堂
備考
青松講座は青松寺檀信徒でない方もご参加いただけます

 

講座一覧

第1回:2008年2月23日/第2回:3月29日/第3回:4月26日/第4回:5月24日/第5回:6月21日/第6回:7月26日/第7回:9月6日/第8回:10月18日/第9回:11月29日