青松寺法燈
法燈とは、受け継がれ、絶えることのない正法(仏の教え)のことです。
青松寺は、1476年に開創されて以来、多くの方々のお力により今日まで仏法が受け継がれてきました。その青松寺の歴史、青松寺にまつわる事柄をご紹介いたします。
青松寺について
宗派 |
曹洞宗 |
宗祖 |
道元禅師 |
本山 |
永平寺(福井県) 総持寺(神奈川県) |
山号 |
萬年山(ばんねんざん) |
寺号 | 青松寺(せいしょうじ) |
ご本尊 | 釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい) |
開創 | 文明八年(1476年。時は、足利幕府8代将軍足利義政・応仁の乱の時代。) |
開基 | 太田道灌公(関東管領・扇谷上杉氏に仕え、文武両道に秀でた室町中期の武将。長禄元年(1457)江戸城を築く。江戸城には連歌師や禅僧が多く集まった) |
ご開山 | 埼玉県越生の龍穏寺五世雲崗舜徳禅師をお迎えして創建 |
縁起
開山当初は麹町貝塚(今の国立劇場・最高裁判所の辺り)にあり、「江戸貝塚青松寺」と称されました。その後、慶長五年(1600年)、徳川家康公が江戸城の外堀をつくる際に、愛宕山南に続く丘陵「含海山」と呼ばれる現在の地へと移りました。
寺の中に僧堂「獅子窟」を擁し、幾多の人材を輩出。明治八年(1875年)、獅子窟学寮内に曹洞宗専門学本校が開校します。翌年、駒込吉祥寺の旃檀林と合併し、今日の駒澤大学へと連なっていきます。
大正十二年(1923年)の関東大震災では堂塔は烏有に帰してしましましたが、歴代住職と檀信徒の青松寺復興に寄せる思いはあつく、今日の時節到来を迎えて再開発を行い、往時の伽藍を再建し、願いが叶えらました。
これにより青松寺本来の姿に立ちかえり、活溌な機能を果たす仏法興隆の場として、世に広く応じる事のできる構えを備えるに到ったのです。
資料館
『新撰東京名所図会』より (明治34年)
当時山門前の愛宕下通りには、
美しい櫻川が溜池から流れていました。
その当時の石橋は、現在、新たに青松寺境内に復興された桜川にかかっています。
山門前
上記の『新撰東京名所図会』に同じ。
右手前に厩舎、その右奥は門番所です。
門前の高札には「説教」と大きく書かれ、
毎月一日に行なわれていました。
中雀門 (ちゅうじゃくもん)
山門から境内へ入った所にあります。
境内には、参拝にいらしたおばあさんと
そのお孫さんが見えます。
鐘楼堂 (しょうろうどう)
大正12年(1923年)の関東大震災で
境内堂宇全てが消失する前の鐘楼堂。
※青松寺にまつわる写真・資料・エピソード等ございます方はお声かけ頂けましたら幸いです。