道場と荘厳

三黙道場

hana_1.pngお寺では浴堂(風呂)・僧堂(坐禅堂)・東司(とうす)(お手洗い)の三ヵ所を三黙道場とよび、この中においては談話をしてはならないとされています 。
僧堂(坐禅堂)はひたすら坐禅に打ち込むのですから黙るのは当然ですが、なぜお風呂やお手洗いで話してはならないのだろうかと、訝しく思われるかたもおいでになるでしょう。
しかし、ここに禅の精神が顕されています。
お風呂もお手洗いも私たちはほっとしてつい無駄話をしたくなります。しかし、お寺のお堂はどの場所も道場なのだから坐禅と同様に一生懸命つとめることが肝要で一つもおろそかにしてはいけないということがその意なのであります。

禅は生活であり実践です。三黙の道場に坐禅堂と並んで私たちの生活に身近なお風呂とお手洗いが入っていることが重要なのです。道元禅師の著述『正法眼蔵』に、洗面のことを著わされた「洗面」の巻、お手洗いのことを著された「 洗浄(せんじょう)」の巻があるのはこの心を大切にされるからなのです


荘厳

mame341.jpg〈しょうごん〉とよみます。壮麗端厳に飾りつけるとの意です。
私たちは法要を営むときに仏前に果物やお菓子、お花をお供えし、お明かりをあげ供養をつとめます。しかし何にもまして大事なのは事前にその場所をきれいに掃除しておくということなのです。
私たちはきれいに掃除がされ、打ち水がしてあるお宅の玄関に入ると自然と清々しい気持ちになります。これこそが荘厳であります。日本には古来よりこの伝統があり、私たちは知らずうちにつとめているのです。  
お墓参りもそうです。お墓参りをするときにお水でお墓を洗うのは荘厳しているのに他なりません。墓前に参り、先ずお水で墓石を洗い清めお花をお供えし、お線香を上げ、手を合わせてお参りをする。自然とみなさんがされていることなのです。
授戒会は仏の教えを戒として学ぶだけでなく、私たちの身の周りには実はたくさんの仏教があることに気づく場でもあるのです。