言語(ごんご)するは


garann07.jpg平成15年も最後の月、早くも12月、師走の月になりました。師走の声を聞くと今年一年の締めくくりと、新しい年を迎える用意をせねばとの気になり、日一日一日と過ごす度に身も心も急いてまいります。忙しい毎日を重ねていくうちに気持ちも荒みがちになり、他人の小さな過ちに対してついあげなくてもよい大声をあげたり、不機嫌になったりするのもどうしてもこの時期に多くなります。

わたしがご本山で修行をしていたときの失敗談を一つ。
ご本山には毎日たくさん参拝者がみえます。それは本山を訪れる方たちを案内して、静かに参拝していただく役目に就いていた時のことでありました。参拝にみえるとは言うものの、それは寺の中にいるものの思いであり、実際来ている人達にとっては観光であり、酒気を帯びた方も少なくなく、「さあ修行」意気込んで上山した身にとっては「これは修行だろうか?」の思いがつのって、知らず中に規則を乱したりする人がいると怒鳴るまではいかなくても大声あげて注意をするようになっていました。

そんな時、知り合いの和尚さんが外からみえて、安否を問われた時にこの思いを話すと、「怒鳴ってはいかん、怒鳴らずに話をしてどう静かにお参りしていただけるかが、おまえの修行だ」と言われました。このことは今も覚えています。

道元禅師は、「人に接するに人の過ちをみて本当に注意の言葉をかけようと思うならば、刹那の怒りの心でなく、私心なく慈愛のこころで発せよ」と云われます。例えそれが正しいことであっても、正しいからと責めるような言葉で注意するならば、相手を傷つけ、反発を招いてしまいます。正しいこと、正しい言葉こそ相手への配慮が必要なのです。わたしの相談に応じてくれた和尚さんはそのことを「相手を怒鳴るな」と言われたのです。恥かしい話であります。

『愛語』という語があります。相手のことを本当に思いやり、時には厳しい言葉を、時には思いやりのある言葉を発するならば、天をもひっくり返す力があると道元禅師によりさらに述べられています。
殺伐とした事件の多い昨今ですが、自ら失敗を思うたびに、言葉のもつ大きな力を認識し、自戒する次第であります。

昌道 合掌