はなまつり
-どの生命も、どの生命も、皆光り輝いている-


hana0802.jpg50年も前のことでしょうか、まだ10歳にも満たない私は、白い象に天と地とを指さす童子の立つブリキのバッヂを胸に喜んでいた記憶があります。また、釈尊降誕のお話に素直に感動していた覚えもあります。
マヤ夫人が釈尊降誕の兆しとして白象が胎内に入る夢をご覧になり、釈尊はルンビニーの花園でお生まれになるや七歩あゆまれ、「天上天下唯我独尊」と唱えられました。その時、美しい音楽とともに、お誕生を愛でて釈尊の身体に甘い香りの雨がふり灌がれたといいます。
花まつりが釈尊のお誕生を祝う日であり、花御堂に釈尊の童子像を安置し、甘露に見立てて甘茶を灌ぐことを知りました 。また、白象を伴うことも納得しました。当時私はキリスト教系の幼稚園にあって、クリスマスにはキリスト誕生の劇を演じていたりもしました。きれいな花園でのお誕生を迎えられた釈尊にどことなく親近感を覚えたものでした。

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「天上天下唯我独尊」という言葉は、国語の中では「我が道を行く」「独善的な振る舞いをする」などの意を含み、あまりいい文脈では使われません。「唯我独尊的な態度をとるのではなく、少しは他人のことも考えなさい」などと・・・。 
しかし、この言葉は私たち仏教徒には近しく
「一つひとつは弱く見えても天地の恵みに支えられて年々歳々咲く花のごとく、人も支えられ、生かされているかけがえのないいのちを生きているのだ」
という宣言として理解されています。
今の子どもなら、生まれてすぐに七歩あゆまれて云々などという話には端から疑ってかかるかもしれませんが、表面的なとらえ方ではなく、その内容をしっかりと伝えたいものです。



私が働く青松寺においても、「はなまつり」の日には、釈尊のお誕生をお祝いしましょうと近隣の方々に呼びかけますが、関心を持たせる努力が不足しているのか、世間もこの日をクリスマスほどには注目していないことにもどかしさを覚えております。また、呼びかけられてはじめてこの日を知る都会の若者に接して、クリスマスのように親しんでもらう何らかの工夫も必要なのではないかと感じております。
青松寺のホームページを見て「写経の会」「お袈裟を縫う会」「正法眼蔵に学ぶ会」に参加を申し込んでくる若者が増えています。積極的な情報の発信も必要であることを実感している次第です。


「誰も彼も、一人残らずみんな不幸なのだ。この世に幸福な人間はいない。けれども、木や草や山や川がそこにあるように、人も自然の中に生まれたからには、ちゃんと意味をもって生きている。あらゆるものとつながりを持って。・・・目を見開いて見渡せば、世界は今日もこんなに美しい。どの生命もどの生命も皆光り輝いている」
とは、劇団 黒テントの佐藤信氏の脚本・演出による『ブッダ抄』という劇中での「目覚めた人・ブッダ」のことば。「かけがえのないいのちの自覚」を私たち一人ひとりに呼びかけています。
苦しみのない命、 誰とも関わらず人に迷惑をかけることのない命などありません。誰もが苦しみ、それゆえに支え合って生きていくのです。老病死そして生の苦としっかりと向き合った、仏教ならではの深い人生観、世界観です。「天上天下唯我独尊」とはまっすぐにつながっています。


ここ青松寺には、「獅子吼林サンガ」「仏教ルネッサンス塾」という仏教を生き生きと輝かせようとの願いを込めて設けられた場があります。
「獅子吼林サンガ」は、僧たちが集い、生活の全てを自分の責任で管理しながら、仏教に学び坐禅を通じて自己の生き方を真摯に問い直す場。伝統を引き継ぎつつ、有為の人材を育成する役目を担っています。
「仏教ルネッサンス塾」は、今まで仏教に関心のなかった都会の若者たちにも仏の教えに目を向けてほしいとの願いから立ち上げられた場。今日において、「どうしたら仏教は生き生きと輝くことができるのか」「どうしたら仏教はその良いところを広く人々に伝えることができるのか」を、さまざまな角度から考えてみようとの試みです。

もちろん一寺院のすること、微力でもあり限界もありますが、一寺院であるがゆえにできることに努めていきたいと考えております。お寺に集う方々と共に、仏法に根ざした生き方のあるべき姿を考え、相互に気付く場を創出していきたいたいと願っています。  
どちらも目指すところはお寺に集う一人ひとりが己が命のかけがえのなさに気づき、それゆえに、他者の命のかけがえのなさにも気づき、お互いが支え合って生きていることに気づく。釈尊誕生の第一声、ブッダの「お覚りのことば」の実践にあります。

c_hasu2w1.gif「はなまつり」は、子どもたちにとってはきれいな花御堂に心おどらせ甘茶をいただける日。また、かわいらしいお稚児行列に加わる晴れの日でもありましょう。その姿は、まさにあのはつらつとした童子像を思わせます。
殺伐とした世にあって、仏のみ教えに目の向けられつつある今日、日本中の、いな世界中の人々が命の尊さをお祝いできることを願ってやみません。 (「禅の友」平成十六年四月号掲載より)

雅敏 合掌