自己



この夏は暑さ厳しくどなたも大変な思いをして過ごしておられたことでしょう。つい数日前までは裏山で蝉が、あの大工事をどこでやり過ごし命を継いでいたのかと感心するほど、力強く鳴いておりました。九月に入りますと今度はまた秋の虫たちが涼しさを呼ぶように、暑熱からなんとか生き延びた草の間で鳴き始めました。小さな命の元気さに一つ一つの生命の尊さを覚えます。

アテネでのオリンピックでは、日本の若い人たちが自ら重ねてきた精進を活かすべく粘り強くその力を出し切って、最良の目的に到達し、喜びを爆発させていました。見ている私たちもその輝く生命のさわやかさに感動させられました。試合直後のインタビューに応えて「一度死んだからです」「一度は限界を感じましたが、死んだ気になり出直して練習に励んだのが良かったです」と話すのを度々耳にしたのが印象的でした。

道元禅師は「自ら仏の家に投げ入れて、仏の方より行なわれる」とお示しです。選手が毎日寸断なく重ねた修行の努力が、本番勝負の時に、「無心」となって自己の持てる力が如実に現れ、そして自然と花が咲く。み仏の示す「自己」を目の当たりにしたような思いにかられ、輝く笑顔をまぶしく見ておりました。
c_asa2w1.gifオリンピックから与えられる躍動感溢れる感動とは全く逆に国際間でのいさかい、それに巻き込まれて失われる尊い命、やり切れない悲しみは今日なお絶えることなく繰り返され、心寂しくさせられる毎日でもあります。多くの大きな事項に対して、自己一人の及ぶ力はあまりに弱小にしても、私たちは仏教徒として自己の存在の根本を知り、み仏をよりどころとする清らかな心と信念を大切にする生き方を明らかにすることにいたしましょう。

                  宗一 合掌