お参りとは


clip_image002.jpg先日お寺でのおはなし。
ある法要に参列される方達が初めて寺に車でお出でになり、着いた早々、駐車場の案内が悪いと寺の受付の者に苦情を言っていかれたそうです。

私たち日本人は、特に旅に出たときなどは、宗教宗派に拘らず神社・仏閣によくお参りいたします。ここ青松寺の日常でも多くの方が山門よりゆったりとした様子で境内に歩いて入って来られ 、本堂に至り御本尊に手を合わされるお姿をよくお見かけいたしております。

この二つのお参りの違いはなぜでしょうか。
現代日本は交通機関、道路が発達し、車で目的地まで乗りつけ目的を果たすことが当たり前のことと受け止められています。社寺に参られて「下馬」あるいは「下乗」と認められた立札をご覧になったことがおありではないでしょうか?社寺の境内に車馬を乗り入れることが禁じられていたことの名残りです。
別に神仏が偉いとか、昔はこうだったということが言いたいのではありません。
「お参りする」ことをよく考えてみるならば、それは単に神仏前のみに手を合わせるというのではなく、実は神仏前に至るその過程もお参りなのです。
車馬を降りてゆっくりと歩み自らの心を調えて神仏にその心を照らす、そしてその気持ちを保って再び車馬に戻る。つまり、社寺に到着した時、既にお参りは始まっているのです。

bd_grass2.GIF日常を忙しく過ごす現代人は、ついこの心持ちを見失い、最初のお参りのようになってしまう。しかし時間と心の余裕があるときにはその心を取り戻せる。
二つのお参りの違いは心の違いのような気がしてなりません。

何でも便利で速い流れの社会の中にある私たちは、たとえ一時であっても、その流れを止めてみる時間があってもよいのではないでしょうか。せめてお参りする時にはそんな心を保ちたいと願います

                          昌道 合掌