節分


setubunn1.jpg節分と聞くと、すぐに豆まきをイメージする人がほとんどかと思われますが、本来、節分は年に4回ありました。立春、立夏、立秋、立冬の季節の移り変わりを称して節分と言ったそうです。
特に、立春の前の日を指して、行事が行われていました。なぜかと言いますと、昔の暦は、大陰暦を使っておりましたので元旦と立春が重なることが多かったために、大晦日に除災の呪い釈(まじない)として行われておりました。この除災の呪いは「追儺会(ついなえ)」と呼ばれ、中国から伝えられたもので鉾と楯を持つ方相氏(ほうそうし)が大声を発し、鉾と楯を三度打ちならし、疫神や悪霊を追い払うだけのものでした。
では、豆を撒く行事は、いつから始まったのかといいますと色々な説がありますが、鎌倉時代の終わり頃に中国の明から伝えられたそうです。また、家の戸口にヒイラギの葉やイワシの頭をさしこんだりするのも除災の呪いとして民間に広まりました。

むづかしいお話はこれぐらいにしておきまして
むかし、とある家にあった節分の夜のおはなし。
豆で鬼を追っ払う行事を終え、ようやく残った豆を肴にその家の主人が一杯やっておりますと、表の戸がガラリと開いた。
その方をひょいと見ますってぇとあわてたように入ってきたのがなんと赤鬼!
そこで主人 またも豆をつかんで投げつけようとすると、赤鬼が

「少しの間だ。頼む、ここに置かせてくれ」
「そりゃまた一体、どうしたことだ」
「今、家の外に生酔(なまよい)が来ている」
「生酔が来る?鬼のお前が、人間の生酔なんかこわがるはずないじゃないか」
「いやー、生酔が醒めると正気(鍾馗(しょうき))になる」

ご存知のとおり鍾馗さまは、眼が大きくて、顔中髭だらけ。鬼にとってはおっかない存在。
「鬼は外、福は内」の声、高らかに豆を撒けば、あくる日は立春。まだまだ寒いが暦の上では冬との別れ。ついつい心も弾んでくる。むかしの人も同じことを想っていたのでしょう。

こんな俳句が残っています。 
音なしの春こそ来たれ梅一つ。召波

おあとがよろしいようで

旭海 合掌