仏教に生きる姿勢


mame3601.jpg毎歳春になると永平寺には、御開山道元禅師様のお膝下で修行を志す者達があたらしく上山してきます。
初めは、お袈裟、お衣が身につかず、動きもぎこちなかった新参の修行僧達も、本山の規則の中に身を置き、一生懸命仏道修行をつとめるうちに、夏の初め、今頃の時期ともなると漸く慣れてきて少しずつ立ち居振る舞いが板についてくるようになります。

御開山様は、「正法眼蔵随聞記」の中で初心の仏道修行者に対して
「学道の用心、本執を放下すべし。身の威儀を改むれば、心も随って転ずる也。
 先ず律儀の戒行を守らば、心も随って改まるべき也。
 -(中 略)-
 初心の学道の人は、只、衆に随って、行道すべき也。
 修行の心、故実等を、学し知らんと思ふことなかれ。」

何はわからなくともお袈裟を頂き、み仏の教えに出会い、私が、自分が、という執着の心を起こさず修行道場に身を置いて僧衆とともに日常をつとめるならば、それに随ってお坊さんとしての心持ちも整っていくというのです。これが仏道修行であると述べられています。仏道修行とは、釈尊の、道元禅師様の教えに沿って生きるということでしょう。仏教にいきると言い換えても良いかもしれません。新参の修行僧達も髪を剃り、仲間とともにつとめるうちに仏教に生きることを学んでいくことでしょう。

御開山様は、このようにも云われます。
「霧の中をゆけば、覚えざるに衣湿る、よき人に近づけば、覚えざるによき人となるなり」と。

現代社会は、価値観が多様化し、個が優先され何事もスピードが優先される風潮にあります。そのため、お互いの関係はきしみ、以前では考えることのできないような事件が起こるようになってしまいました。
お互い様立ち止まってよく考えてみましょう。
つい自分が、私がとのこころを起こしていませんか?
日常生活でよき人に出会い、その在り方にならい、親しき仲間をなし、共につとめていくならばそれも仏教に生きる姿勢ではないか、と私は思うのです。

2008年 春
獅子吼林サンガ主幹 合掌