黄金の仏国土、ミャンマー

板倉省吾さん(元青松寺獅子吼林サンガ生)のミャンマーリポート


2月21日から一週間、学校建設のボランティアの一環で、対象学校の落成式に行ってきました。活動歴10年のJIWA(日本国際福祉協会)というNGO団体で、ミャンマーに今回含めて4校学校を建て、インドの学校の運営支援も行っています。
また、メッティーラという都市には「永平寺中学校」があります。佐賀に事務局のあるアジア仏教徒協会というボランティア団体の活動によるものです。この団体は20年以上前から活動している、対ミャンマーボランティアのパイオニアです。ここが永平寺に働きかけて建設されました。
私自身は、「永平寺中学校」の視察も含め、この5年で3回目のミャンマー訪問です。

taisenn27.JPG東南アジア、インドシナ半島の西に位置するミャンマー連邦(旧名ビルマ)は、国民の9割近くが仏教徒で、男子は一生の内に必ず一度は出家すると言われているほどの、熱心な仏教国です。そのミャンマーの仏教を象徴するのが、パゴダ(Pagoda)です。パゴダとは仏塔・仏舎利塔を意味する英語で、独特の円錐型をしています。その名が表すように釈尊の遺骨や遺髪、歯などが収められているといわれ、大小様々なパゴダが山腹から民家の間など、ミャンマー国内のあらゆる場所に点在しています。ちょうど日本の古墳のような感じと言えば良いでしょうか。人々は買い物の途中や仕事帰りなどの、日常のちょっとした時間に気軽にパゴダに訪れて、静かに日々の祈りを捧げます。ですから、平日でもパゴダの境内に人垣が絶えることがありません。


 有名なパゴダを二、三紹介しましょう。
 首都ヤンゴンは、そもそもスーレーパゴダを中心に都市設計がなされていますが、taisenn28.JPGそのスーレーパゴダを凌ぐ規模を誇り、ヤンゴンのシンボルとも言えるのがシュエダゴンパゴダです。中心の仏塔は高さが、基底部の周囲は433mあり、塔の全体を金箔で覆っています。塔の最頂部には76カラットのダイヤモンドを中心に5451個のダイヤと1383個のルビーなどの宝石によって荘厳されています。この仏塔を中心に周囲に60を超える塔や堂宇があり、ヤンゴン市内はおろか、ミャンマー随一ともいえる威容を誇ります。一見すると(日本人から見ると)、シュエダゴンパゴダの華美な荘厳は些か過剰とも思えますし、ミャンマーは決して裕福な国ではありません(国民一人あたりのGNPは180ドルで日本の約181分の1<2002年のIMF報告>)。 維持管理が大変だろうと想像できますが、それだけに仏教への国民の信心の篤さが表れているパゴダとも言えます。


taisenn29.JPGヤンゴンから北へおよそ500㎞にあるバガンは、十一世紀頃にパガン王朝がこの地に首都を置き、フビライ・ハーンの侵攻によってパガン王朝が滅びるまでの約250年間に渡って隆盛を極めた都市です。約40平方㎞のエリアに、パガン王朝時代に作られた大小含めて2000を超えるパゴダや寺院が林立しており、カンボジアのアンコールワット、インドネシアのボロブドゥールと並んで『世界三大仏教遺跡』と言われていますが、他の二箇所と異なり、ユネスコによる世界遺産の認定は受けていません。しかし、その規模や歴史的価値は計り知れないものがあり、「ミャンマーに来たらバガンに行かなければ損をする」と言われるほどで、欧米や日本からの観光客で賑わう、日本の京都のようなミャンマー随一の古都です。


 バガンのタビニュ僧院の境内に日本人戦没者の慰霊碑があります。taisenn30.JPG旅の浮かれ気分でバガン散策の途中にこの一画を訪れると、一瞬心が鎮まります。今でも日本の慰霊団がこの地を訪れると、当地の僧院の方が線香を渡してくれたり、接待をして下さいます。このような慰霊碑はミャンマー国内の各地にあり、中にはこの慰霊碑建立がきっかけで、その地に日本人の寄進による寺院やパゴダが建てられた場合もあります。




taisenn31.JPG首都ヤンゴンから北東へ120㎞にあるチャイテイヨーの山頂に、ゴールデンロックと呼ばれる不思議なパゴダがあります。金色に塗られた大岩の上にパゴダが乗っていて、一見すると、今にも山肌から転がり落ちそうなのですが、パゴダの中に収められた釈尊の遺髪がバランスを取っていて落ちないのだそうです。ミャンマー屈指の巡礼地で、この不思議なパゴダと朝方に山頂から拝むご来光が相俟った風景は、まるで別天地を思わせます。



 実は日本にもパゴダがあります。北九州市門司の、関門海峡を眼下に臨むめかり山の山頂にある世界平和パゴダがそれです。1958年にミャンマー政府仏教会と日本側有志によって、戦没者慰霊のために建てられました。ここには日本で唯一のミャンマー僧院が併設されていて、現在も3人ほどのミャンマー僧が、地元住民の支援の元で生活されています。
 ところで、そもそも「慰霊」というのは墓制や家制度、神道などの影響がある日本独特の風習で、上座部仏教の世界観が深く浸透したミャンマーでは「慰霊」という概念はありません 。僧院内に慰霊碑が建っていても、そこの僧侶が慰霊の祭祀に関わることはないのです。ですから、慰霊の場を日本人に提供して下さっていることは、ミャンマーの人々の日本に対する厚意と寛容の証であると言えます。



taisenn32.JPG今回私が旅行中にヤンゴン市内で出会った 、あるミャンマー人の元日本語ガイドの女性は、敬虔な仏教徒で出家経験もあり、毎朝読経を欠かさないそうですが、その中で必ず日本人戦没者のために日本語で「般若心経」をお唱えするそうです。
皆さんは 「ビルマ」という国名はご存じでも(「ビルマの竪琴」)「ミャンマー」という国名には縁遠さを感じられる方が多いのではないでしょうか。現在ミャンマーは軍事政権下にあり、国際的に孤立しています。
しかし、各種ボランティア活動をはじめとした市民レベルでの草の根的な交流は、古今を問わずに盛んに行われています。また、パゴダを始めとして仏教が深く浸透しているミャンマーの日常に触れると、仏教徒として触発されるところが少なくありません。