スリランカ学童支援 2015年

2015年報告

nara201501.jpg生徒の子供たちとスリランカの学童支援活動は、2004年から継続して実施しております。今年は、4月17日に、スリランカの東部ポロンナルワ県のマードゥルオヤ(Maduru Oya)地方の4ヶ所の学校に行って来ました。ポロンナルワ市は、世界遺産として登録されている、歴史的な誇りを持つ仏教遺跡の街であり、10世紀頃には、スリランカの都でもありました。湖に囲まれ、農作物にも恵まれたこの地域は、高い水準の米の生産量を誇っています。

ポロンナルワ街の中心部から車で2時間ほど内陸に入ると、マードゥルオヤ村があります。70年代半ば、国の農業開発政策で、マードゥルオヤにダムが建設され、大勢の農民が移住させられました。しかし、農業だけを頼りに暮らしている彼らの生活は、毎年の天候に左右されて不安定なものでした。
辺鄙な田舎とも言えるマードゥルオヤ地域の農村の人々は、東部で長期化していた内戦中から様々な脅迫を受け、終戦までの生活は、苦労の連発でもありました。しかし、終戦後の住民の暮らしは、徐々に変化していったことは一目瞭然、平和な暮らしや教育に対する意識が、今までと異なり、だいぶ高まってきているようです。


nara201502.jpg今年の支援活動の中心となったのは、マードゥルオヤの左記の4ヶ所の学校です。
1、カンデーガマ村のカンデーガマ小学校 
2、ダンミンナ高等学校 
3、マードゥルオヤ高等学校 
4、イハラウェワ小学校 
各学校の生徒全員を支援するより、各学校で事前に調査してもらい、最も経済的に余裕のない200人程の生徒を選び、一人一人に必要な文房具を渡しました。当日、移動時間の節約も考え、選ばれた4校の生徒たちには、2ヶ所の学校に集合して貰いました。お正月の休校期間中にも関わらず、子供たちは朝早くから学校に集まり、我々の訪問を楽しみに待っていてくれました。



nara201503.jpg青松寺で毎月行われている『サンスクリット語講座』の受講者からも、今回の学童支援にご協力頂きました。受講者や、その友人の方々から、ギター3台、電子キボード1台、メロディカ2台、リコーダー数本も頂きました。また、数百本の鉛筆、コピー用紙や子供用の古着も頂き、それら全てを今回の学童支援活動に当てました。

今までと同様に、この私たちの学童支援活動を成功させるには、私の母国、スリランカの友人たちや、人道支援に関わっているスリランカ陸軍のご協力も欠かせませんでした。
今年も青松寺に集う皆さまのお陰で、助けを求めている沢山の子供たちの笑顔を見ることができました。本当にありがとうございました。心から御礼申し上げます。

ラブガマ・ナーラダ  合掌

スリランカ学童支援 2014年

2014年報告

Arewwala 小学校にて記念撮影.JPG勉強を続ける経済的な余裕のない子供たちを対象に、スリランカの様々な地域で行われて来た青松寺の学童支援活動は、今年で9年目を迎えました。従来の活動の一環として、本年も、2月末から青松寺に集う皆さまのご支援のもと、スリランカの子供たちの教育を支えることが出来ました。ここに改めて感謝を申し上げますと共に、本年の活動内容を紹介させて頂きます。

今年は、4つの学校の約2500人の子供たちを支援することができました。内3校は、内戦が続いていた東部バティカロー県とポロンナルワ県境にあり、もう一校は、コロンボ郊外にありました。東部三校の場合、地元で人的支援活動に関わっているスリランカ陸軍部隊から得られた協力は欠かせないものでした。また、青松寺の檀家さんのご子息でもある新保雄也さんが、今回の活動に加わり、各学校で日本の歌を披露しながら子供たちや関係者に新たな感動を与えてくれました。
KDWMD (6)2.JPG子供たちによる踊り
東部の3校は、コロンボから車で5時間ぐらい離れた、ディンブラーガラという地域にあり、住民は、ほぼ農業だけを頼りに暮らしています。これらの住民は、5年前の終戦に至るまでの長い期間、テロとの問題で様々な被害を受けながら苦しい日々を過ごしてきました。内戦の頃は、子供たちの日常生活が恐怖や不安に覆われた連続の日々だった為、真面目に通学する気持ちが完全に失われていたようです。そのようなこともあり、訪問した全学校の子共たちは、その気持ちを踊りや歌などを通し、表現してくれました。

クルルベッダ村のクルルベッダ小学校

KDWMD 小学校.JPG
今回、最初に訪ねたのは、クルルベッダ村のクルルベッダ小学校。校舎は未完成のままでしたが、1年生から5年生までの38人の男女の子供たちが、そこで勉強していました。子供は、今回の支援で、今まで手の届かなかった、靴、絵を書く道具や、その他の文房具などを手にして、大変感激してくれました。また、校長先生から、共同で使えるカセット・プレーヤーと、各教室に壁時計が必要だとの依頼もあって、それらも寄付することができました。


アセーラプラ学校

次に訪問したのは、地元で最も大きい、小・中・高一環の、アセーラプラ学校。1200人位の生徒が所属するこの学校に、カシオのキーボード、バイオリン、メロディカ、そしてスポーツの為にサッカーボール、バレーボール、クリケット用具などを寄贈しました。

カダワッマドゥワ村にあるカダワッマドゥワ学校

Kurulubedda (70).JPG3つ目に訪問したのは、アセーラプラ学校から4キロぐらい離れたカダワッマドゥワ村にあるカダワッマドゥワ学校でした。小・中の子供が234人ほど勉強していて、とても充実した学校。学校の教員らもとても熱心で、子供たちも勉強だけではなく、スポーツや音楽の才能にも恵まれていました。学校側からの強い要請に応じ、楽器やスポーツ用具の他に、敷地内から離れた場所の井戸から水を汲める電動のポンプも寄贈することにしました。今回の日本からの支援で今まで苦慮していた水道問題が解決したことに、子供たちと共に教員らも大変満足しくれました。

コロンボ郊外にあるヴィッディヤーローカ学校

今回、最後に訪ねたのは、コロンボ郊外にあるヴィッディヤーローカ学校でした。この学校では、小学校から高校までの、1300人ぐらいの生徒が勉強しています。学校で特に音楽を学んでいる子共たちは非常に優秀で、何度も全国大会に出場できるほどの才能を有していました。しかし、日々の稽古に必要な楽器を十分には所有しておらず、大会の度に別のところから楽器を借り、練習に励んできたそうです。少しでもこの学校の要請に答えたく、キーボードやバイオリンなど幾つかの楽器を提供することができました。

そのほかに・・・

今回の学童支援では、通学する子供たちだけではなく、東部バティカロー県ワーラッチャネイ地域に在住の元反政府テログループ「LTTE」に所属していた青年たちにもスポーツ用具を渡す事にしました。彼らは、子供の頃、テログループによって洗脳され、学校にも行かずテロ活動を繰り返してきました。しかし、終戦後更生し、地元でスポーツなどに励み、社会復帰を目指しているようです。地域の今後の平和を望み、彼らを支援する必要があると思いました。

物資の輸送などお世話になった軍隊の方々.JPG物資輸送等でお世話になった軍隊の皆さん 本年の支援活動内容を振り返ってみるに、日本から同行してくれた日本人大学生の新保さんの活躍がとても印象に残っています。彼は日本から自らのギターを持って行き、各学校で日本の「上をむいて歩こう」の歌を現地の子供たちと一緒に演奏しました。それは、スリランカの子供たちとの新たな交流に繋がるものでした。はじめて耳にした日本の歌、そのメロディーや意味が、辛い環境で一生懸命に勉強に励む子供たちにとっては、とても新鮮な刺激になったに違いありません。
以上のように今回の学童支援が無事に終えることができましたのは、たくさんの楽器を集めて下さり、支えて下さった青松寺の護寺会会長の松井さんをはじめ、檀家の皆様方のおかげです。重ねて心より感謝と御礼を申し上げます。有難うございました。

ラブガマ・ナーラダ  合掌

スリランカ学童支援 2013年

2013年報告

SL 2013 (17).JPG今年(平成25年)の2月、去年に引き続き、スリランカの北部と西部の経済的に恵まれてない子供たちを対象とした学童支援を行ってきました。北部の子供たちは、約30年間も続いた内戦の被害の影響を、今なお、受けながら生活をしていました。青松寺に集う皆様のご支援が、子供たちの明るい未来へと繋がる重要な架け橋になっていることは、改めて言うまでもありません。この場をお借りして、スリランカの子供たちに代わり、皆様に感謝の気持ちを申し上げるとともに、今回の学童支援の様子について、ご報告をさせて頂きます。

メダワッチヤ県パルゴッレーワ村にあるパルゴッレーワ学校

SL 2013 (25).JPG今回、支援の中心となったのは、北部のメダワッチヤ県パルゴッレーワ村にあるパルゴッレーワ学校です。男女合わせ200人程の生徒と17人程の教員が在籍するこの学校は、キャンディ市とジャフナ市を結ぶA9の国道から、車で更に40分位離れた辺鄙な村にあります。最初に学校側と連絡を取り、必要とする物を尋ねた際、校長先生のお答えは、楽器が欲しいとのこと。そしてもう一つに、浄水器というご要望があがりました。
この地域では、日常生活に欠かせない井戸水に、大量のフッ素が混在していて、毎年、十数人の住民が肝臓の病に陥り、場合によっては、命を落とすことも少なくはありません。外国から輸入した農薬が主な原因と思われていますが、しかし、それに対する国の対策も未だ不十分です。次の世代を担う子供たちを救うことを優先的に考えると、学校への浄水器の提供は欠かせないと考えました。そこで、諸々の楽器他、スポーツ用具、子供たちの靴、文房具とともに、あらゆる専門家と相談しながら、適切な浄水器を選び、寄贈することにしました。

SL 2013 (212).JPG支援を行った当日、子供たちは感謝の意を表し、踊りやスピーチなどを披露してくれました。校長先生や他の教員の方々も、スピーチの中で支援に対して、大変な感謝の気持ちを表して下さいました。今まで、購入することができず、夢だった楽器やスポーツ用具が贈られたことで、今後の子供たちの学校生活も、今以上に楽しくなることでしょう。内戦で銃撃や爆撃の雑音で傷を負った子供たちの心が、楽器が奏でる音楽で癒され、もっと豊かな心を持つ人間に育っていくであろうという希望が高まりました。

SL 2013 (286).JPGパルゴッレーワ村の隣のイシンベッサガラ村に、30人程の子供の僧侶が勉強する専門僧堂があり、今回の贈呈式に彼らも招きました。彼らにも、要望のあったサンダル、衣などを入れるバッグ、傘などを寄付しました。地域の発展は、僧侶の持つ役割に期待されております。従って、僧侶の教育に対する支援は、最も重要なのです。

SL 2013 (349).JPG今回も、地元で人道支援に取り組んでいるスリランカ陸軍にご協力いただき、そのご尽力が忘れられません。彼らは、楽器を含む全ての支援物をコロンボから北部の学校まで7時間もかけ、安全に運送してくれました。支援の当日は、まるでお祭りのように、生徒たちの保護者まで学校へ集まっていました。贈呈式終了後、陸軍の方々は、集まっていた全員に紅茶、お菓子、パンなどをご馳走してくれました。

同じ地域にある学校の子どもたちへ

SL 2013 (379).JPGこの度の支援活動として、パルゴッレーワ学校の他、同じ地域の去年学童支援の中心となった、スリ・ソービタ小学校80人程の子供たち、そして、西部では、コロンボ県ポルガスオーウィタ村のソイサー学校50人の子供たち、カルタラ県ホラナ市郊外のカンダンヘーナ小学校73人の子供たちにも文房具を渡しました。

お陰様で、この度合計500人もの子供たちが新たな支援を受けることとなりました。心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

                 青松寺獅子吼林サンガ生  ラブガマ・ナーラダ
                                     合掌

スリランカ学童支援 2012年

「平和へのプレゼント」

nara201201.jpg2005年から継続してきたスリランカの学童支援活動を、今年(平成24年)も3月5日、6日と2日間に渡り、スリランカの北部、ヴァウニヤー(Vavuniya)市郊外で行ってきました。ヴァウニヤー市は、内戦地域との境界線にあった町で、長い間、争乱の苦しみと戦ってきた町です。この地では、2009年の終戦以来、様々な復興活動が展開されていて、中でも子供達に対する支援が重要な課題となっています。

国の内戦後の復興活動は、避難民の再定住やインフラの改善、埋められたままの地雷撤去など、多岐に渡っており、学校へ行きたくても行けない子供や、家庭を支えるため学業を中断せざるを得ない子供達にまでは、なかなか手が回らないのが現実です。このような状況の中での今回の学童支援は、地域住民にとっては「砂漠に雨が降るような」奇跡的なことでした。支援当日の子供達の顔の表情や、学校側の見事な歓迎の様子などが、正にそのことを伺わせる証拠でした。

イシンベッサガラ(Isinbessagala)村のスリ・ショービタ( Sri Sobhita)小学校

nara201203.jpg今回、最初に尋ねた学校は、ヴァヴニヤー市から4キロほど離れたイシンベッサガラ(Isinbessagala)村のスリ・ショービタ( Sri Sobhita)小学校。荷物を積んだ我々の車は、朝の2時に現地を出発し、8時30分頃に目的地へ到着しました。ショービタ小学校は、男女合わせて72名の生徒と10人の教員、2棟の古い校舎を持つ、村の唯一の教育の場。内戦の最中には、生徒は10人しかいなかったそうです。昨年末、学校の様子を伺いに訪ねた際、校長先生から可能であれば子供達にブランコなどの遊具を提供して欲しいという依頼がありました。内戦も終わり、子供達には自由に遊べる環境が整ったことで、これまで実現できなかったその願いを叶えてあげたいと思い、文房具に合わせてブランコや滑り台、そして登ったり下りたりいろいろできる複合遊具など5台を野外に設置することもできました。支援当日、式が終わっても子供達は、すぐは帰宅せず、真新しい遊具と夕方まで楽しく遊んでいたそうです。
文房具として以下のものを子供全員にプレゼントしました。
学校に使う制服、ノート、色鉛筆、靴、靴下、水筒、ランドセル

同じ地域の学校へ

nara201202.jpgイシンベッサガラ小学校を後にし、その翌日(6日)、同じ地域の複数の学校に、日本から持って行った顕微鏡8台、望遠鏡1台、温度計76本、虫眼鏡16個を贈呈しました。これら全ての品々は青松寺護寺会会長の松井氏と檀家の家田氏のお二人が提供してくださいました。特に、家田氏は顕微鏡の他に温度計や虫眼鏡も多数用意して下さいました。

地域の9校の学校の内、8校の学校に文房具と顕微鏡が1台ずつ、最後の1校にはパソコンとプリンターを贈呈しました。言うまでもなく、これらの学校が顕微鏡やパソコンを手に入れたのは史上初めてのことでした。当日の贈呈式や各学校との連絡事項など、全ては地元ブーオヤ(Boo Oya)で人道支援活動を実施しているスリランカ陸軍のエンジニアー部隊が企画してくれました。贈呈式はブーオヤ基地で行い、各学校を代表する校長先生と生徒90人ほど、それに、人道支援活動に携わっている各部隊の上位の司令官達が参加しました。特に今回の学童支援活動にあたり、内戦被害地域の橋の建設や地雷撤去を中心に緊急活動を実施しているエンジニアー部隊のご協力はとても印象的でした。

nara201204.jpg一つ忘れ難いのは、式が終わるころに、パソコンを贈呈した学校に電気がないことが判明し、それを贈呈式に参加して下さったエンジニアー部隊の少将のペーシー・ディ・シルワー氏に相談したところ、一週間以内にその学校に電気を通すことを約束してくれたことです。そのお陰でこの学校のみならず周辺の住民も電気の恩恵を受けることになり、村の生活にも光が灯ったことに感銘を受けました。また、基地の方から、子供や学校関係者みんなに果物、お菓子、紅茶などのご馳走が振る舞われ、帰宅時には美味しい弁当まで用意されたのです。生徒達も大喜びで、この日は、生涯忘れられない思い出の一日となったと言っても過言ではないでしょう。

nara201205.jpg贈呈式の終了後、参加した各学校の校長先生や生徒達と話す機会があり、大半の生徒が高校卒業後、大学へ進学したいと希望を語ってくれました。彼らには実現したい夢があることに気付かされ、今回の支援活動の重要性を改めて考えさせられました。
二度と以前のような争いを繰り返さないためにも、世の中を広く見ておく必要があり、その機会を与えてくれるのは“学校”しかないことを強く感じました。その意味で日本からの皆様のご支援は、遠く離れたスリランカの平和へと繋がる「大事なプレゼント」であることは間違いないでしょう。心から感謝を申し上げます。

                 青松寺獅子吼林サンガ生  ラブガマ・ナーラダ
                                     合掌

学校名 地名 贈呈品

ア/パハラ・ガルカンデーガマ学校 ケビリティゴッレーワ/ 顕微鏡・温度計10、虫眼鏡2
ア/プーネーワ・マハー学校 プーネーワ/ 顕微鏡・温度計10、虫眼鏡2
ア/キダワランクラマ学校 メダワッチヤ/ 顕微鏡・温度計10、虫眼鏡2
ア/パルゴッレーワ学校 プーネーワ/ 望遠鏡・温度計10、虫眼鏡2
ア/ヤカーウェワ学校 メダワッチヤ/ 顕微鏡・温度計10、虫眼鏡2
ア/ガーミニー・ウェワ・学校 メダワッチヤ/ 顕微鏡・温度計10、虫眼鏡2
ペラクム・マハー学校 イラッタペリヤクラム/ 顕微鏡・温度計10、虫眼鏡2
ワ/アグラボーディ・マハー学校 マーマデュワ/ 温度計・温度計6、虫眼鏡2
ウ/キ/セルワナガル小学校 セルワナガル/ パソコン一台、プリンター

ご協力くださった方々

カマル・ハリスチャンドラ氏(Kamal Harischandra)(移動の車を用意してくれました)
ディネーシュ・フェルナンド司令官(Dinesh Fernando)(スリランカ陸軍、第四部隊、メダヴァッチヤ基地)(イシンベッサガラ・スリ・ショービタ学校コーディネーター)
マノージ・マデュラッペルマ陸軍大佐(Manoj Madurapperuma)スリランカ陸軍 エンジニアー部隊、ブーオヤ基地 (顕微鏡などの贈呈のコーディネーター)その他ブーオヤ基地のエンジニアー部隊全員、同行したスリランカの友人達

スリランカ学童支援 2009年

終戦とその次...

narada090703.jpg平成21年5月14日~15日の二日間、私はスリランカ東部に滞在し、コーヴィルガマ(Kovilgama)村のヴィグネーシュワラ(Vignesvara)学校、アッラ(Alla)村のスーリヤプラ(Sooriyapura)学校を訪れました。この地域は三十年間にわたり、内戦の被害を受けていた地域です。この二校の子供たちに文房具とスポーツ用品を寄贈しました。また、5月18日には、スリランカの中部マータレー市郊外のダンカンダ(Dankanda)村のダンカンダ学校にパソコン一台、プリンター一台、顕微鏡二台を寄贈することができました。
今回も以前と同様に全面的に協力をして下さったのは青松寺に集う壇信徒の皆様であり、ここに改めて感謝申し上げると共に今回の活動概要を報告させて頂きます。

コーヴィルガマ(Kovilgama)村のヴィグネーシュワラ(Vignesvara)学校

narada0907.jpgコーヴィルガマ村のヴィグネーシュワラ学校の子供たち 今回最初に訪れたヴィグネーシュワラ学校は、コロンボから車で8時間ぐらい離れたカンタレー(Kantale)という小さな町を通過し、20分ほど東方に走ったところにあります。生徒の数は55人で、全員タミル語しか話せません。貧困に陥ったことで、大半の子供達は、両足にサンダルさえもなく登校していました。この日、我々の訪問を知り、朝早くから先生や生徒と共にその親も待っていました。その内一人の先生のみがシンハラ語(私の母国語)が話せて、彼を頼りに、お互いの意見を交換することができました。先生や子供達の親によれば、長期間続いた内戦のせいで地域の人々には外部との交流ができずに暮らしていた為、シンハラ語やシンハラ人との関わりが全く不可能だったそうです。スリランカでは、今年になっても終戦に至らなかった場合、我々との今回の出会いもなかったはずです。
ここでは子供一人ひとりに、傘一本、サンダル一足、ノート十二冊、色鉛筆一箱(八本)、水筒一本、スケッチブック一冊などを贈ることができました。その他に共同で使えるスポーツ用具としてスリランカで一番普及しているクリケットの用具、サッカーボールとバレーボール用のボールなども贈りました。

narada090702.jpgコーヴィルガマ村で出会えたほとんどの人々の肉体的精神的に疲労した姿はとても印象的でした。それは最近まで続いた紛争で、地域住民にとっては、絶え難い苦難の日々であったことの証拠ではないかと思いました。再び内戦以前の平和な暮らしに戻りたい、そして、内戦当時の苦い経験はわが子には絶対させたくないという明確な意思を親たちは持っていました。実に、住民が唯一必要としているのは「平和」、そして、自分の子は平和な環境で一生懸命に勉強を経て立派な社会人になって欲しいということだけでした。その言葉を耳にした我々も思わずその念願が叶うようにと心底から願いました。少なくとも今回の訪問は、内戦の暗闇に覆われていた彼らの夢を照らす一つのさやかな灯火ではなかったのかと感じました。

アッラ(Alla)村のスーリヤプラ(Sooriyapura)学校


narada090704.jpgアッラ村のスーリヤプラ学校の子供たち narada090705.jpg人的支援を行うアッラの政府軍基地により学校へ案内、食事、そして宿泊などを提供してもらいました その次に、訪れたのはアッラ村のスーリヤプラ学校でした。ここでは274人の子供が勉強しており、校舎も幾つかある、割と大きな学校でした。ほとんどの子供達は仏教徒だったので、まず、全員に五戒を授け、それから活動の趣旨やその経緯を説明し、文房具を渡しました。生徒一人ひとりにサンダルやノートをあげられましたが、水筒や傘などについて予算の関係で全員にはあげられませんでした。そこで、小学生の全員に水筒や色鉛筆を、小・中・高の女子生徒だけに傘をあげることにしました。前の学校と同様に、この学校にもクリケット用品など必要なスポーツ用具を寄贈しました。また、意外なことに百人程の子供は欠席となっており、出席していた生徒全員は靴を履いていました。narada090706.jpgしかし、ほとんどの子供の靴は、綺麗に履けそうなものでもなく、いつ破れるか分からないような状態でした。定かなことではありませんが、残念なことに我々に綺麗な学校を見せる為、学校側の何らかの指示で靴がない生徒は、当日登校できなかったのではなかったかと推測しました。

narada090707.jpg終戦に繋がったマーヴィルアール水一方、スーリヤプラ学校の所在地は今回の内戦の終戦に繋がった中心的な場所でもあります。繰り返しになりますが、30年間も続いたスリランカの内戦を終戦に導いた最終の戦いは平成19年にこの地域から始まったのです。学校から数キロしか離れていないところに、当時テロリストリストの支配地域であったマーヴィルアール(Mavilaru)という村に水門があり、今から二年半前のある日テロリストがこの水門を一方的に閉鎖したのです。農業が盛んなこの地域の数千人の農民にとって農業が全く出来ず、生活が営めない状況に陥った時、テロリストに対する本格的な戦いがこの地域から始まったのです。次第に内戦が悪化したことに伴い、テロリストによる子供の誘拐も増え、全住民は死の恐れを背負いながら日々を過ごしたそうです。終戦を迎えた今となって初めて、彼らには再び、平和で自由な生活が戻りつつあります。

narada090708.jpg内戦による被害。至るところで目にします。 それから数日後(5月18日)、内戦の被害地域と違い、スリランカの中部山岳地帯のダンカンダ学校に行きました。二年ほど前にこの学校の図書館に書物や本棚などを寄贈したこともあり、同学校から改めて顕微鏡の提供依頼を受けました。今までこの学校には顕微鏡が一台もなく、実験科目も何一つ教えていなかったそうです。その状況をご理解下さり、青松寺の壇信徒の佐藤ふさこさんと染谷浩子さんは一台ずつ顕微鏡を寄贈して下さいました。今回の寄贈により、現在この学校では顕微鏡を使用した新たな授業も始まっており、生徒には勉強に対する新たな意欲が生じたのではないかと思われます。また、パソコン一台とプリンター一台も追加することも出来、今までとは違った充実した教育環境を作れたことに喜びを感じます。

最後に...

最後に、今回の支援を頂いた上記の諸学校の子供達やその他関係者の全員が日本を始め、青松寺の壇信徒の皆様に大変感謝をしております。私自身も、この度、学童支援活動の成功に当たり、ご協力して下さった青松寺に集う壇信徒の皆様に繰り返し、心から御礼を申し上げます。また今回の活動を実現するには地域の人的支援に専念しているアッラ陸軍部隊本部のグナセーカラ大佐にも御礼を申し上げなければなりません。我々の身の安全と共に学校までの案内、食事、宿泊などあらゆる面でお世話になったことは忘れることはできません。

また、今回訪れた子供達にとっては、これまで世界地図上の単なる一つの国としてしかみえなかった日本が、今後、感謝の気持ちを込めて親しむべき心温かい国として心に残るに違いはありません。皆様のご支援のお陰でこの子供達は、以前よりも世界、教育、また人生に対する新たな価値観を生み出し、平和な社会を目指し頑張っていくだろうと強く期待されます。我々の願いに答えて下さった皆様、本当にありがとうございました。

                                   合掌
               青松寺獅子吼林サンガ生  ラブガマ・ナーラダ

スリランカ学童支援 2005年7月

ランナ学校 建設工事 地鎮祭

去る2005年7月18日、ランナ学校増築校舎のmulagala tabima(日本でいうところの地鎮祭)が執り行われました。以下はそのご報告です。ご覧頂くとお分かりのように、日本の地鎮祭ととてもよく似ています。
学校は10月20日完成予定です。今後も工事の様子などお知らせしてまいります。

nara718011.jpg①儀式を司るお坊さん方が到着されたところで、学校の先生と生徒さんから紅茶のご供養です。地元ハンバントタ(リンク地図右下)、そして古都キャンディー(シンハラ王朝最後の都。お釈迦様の歯が奉られている仏歯寺がある)からのお坊さんが参加くださいました。

nara71802.jpg②建物の中央に、鎮物を入れた石の箱を埋めるための穴を掘ります。写真はランナ学校校長先生です。

nara71803.jpg③敷地の四隅に、ココナッツの葉で編まれた籠が置かれます。その中には、灯明、お香、お花、ココナッツで炊いたご飯がお供えされます。


nara71809.jpg④お坊さんの前においてある甕の中には聖水が入っています。その甕から出された一本の長い白糸は、お坊さんの手から、参列者全員へ、そして四隅にあるココナッツの葉で作られた籠に繋がり、式場にあるすべてのものが一本の糸で結ばれるのです。
※白糸は三重になっており、「仏・法・僧」を表しています。

nara71805.jpg⑤お坊さんのお唱えするお経が、式場にあるすべてのものに渡った糸を通じ伝わっていきます。「仏様から守られますように」「すべての人たちに慈悲を与えてくださるように」というお経があげられます。ランナ学校は小中高一貫高ですが、この日は高校生が生徒を代表し、参加しました。

nara71810.jpg⑥石の箱が、先ほど掘られた穴の中に置かれます。

nara718111.jpg⑦ 周囲でお経があがる中、まずはお坊さんの手によって、箱の上にセメントが乗せられます。この穴の中は神聖なる場所であるため、入るときには必ず履いているものを脱ぎます。

nara71812.jpg⑧ お坊さんに引き続き、校長先生、地元の政治家関係者、地域教育庁副長官、生徒を代表して生徒会、PTA会長が順番にかけていきます。写真は女の子の生徒会員です。

nara71813.jpg⑨ お坊さんからのご法話。今回の、この校舎増築援助は、一人ひとりが日々の生活を送る中で、ご寄付下された、かけがえのないお金です。この思いを大切にし、子供達のために役立たせないといけないということを熱くお話くださいました。

nara71814.jpg⑩ 儀式を終え、学校の先生や子どもたちの作った食事をお坊さんへご供さんへご供養します。

スマトラ沖地震支援 2005年7月

ランナ学校 校舎増築工事 着工

mame2807.jpg
ランナ学校増築校舎完成図
(一階が教室、二階が多目的ホール)

青松寺獅子吼林サンガでは、サンガ生であるスリランカの僧・ナーラダを中心に、昨年末のスマトラ沖地震で津波の被害を受けた子供たちの学びの場である学校校舎の復興支援活動を、多くの方々と青松寺檀信徒の皆さんとのお力添えを受け行っております。(詳細は、下記関連記事欄をご覧ください)

HDTDRDP(ハンバントタ地区津波被害災害救済及び開発事業)より正式な認証を受け、2005年7月18日よりスリランカ・ハンバントタにあるランナ学校に、2階建校舎増築工事を始めました。完成の予定は10月20日、工事見積り費用は約483万円です。
7月18日には、mulagala tabimaという最初の石(基礎)を置く儀式が、スリランカのテラワーダのお坊さんたちにより執り行われました。この儀式は、スリランカで建物を建てる際に必ずおこなわれるものだそうで、溢れんばかりの幸福を招くという意味でまずミルクを沸騰させ、次に建物の施主が、建設予定地の中央に自分の誕生石を石の箱の中に願いを込めて入れて埋めます。これによって「人々の平和」「工事の安全」「福寿無量」などを願うのだそうです。今回も多くの皆さんのやさしさに感謝の気持ちを込めて行われました。式には、ランナ学校校長先生、生徒、建築関係者、地域の教育庁の役人さんが参加しました。(この式の様子の詳細は、後日HPおよび青松寺掲示板にてご報告します)

なお、2005年3月からはじめさせていただいたスリランカ学校復興支援募金の総額は、7月9日時点で1,699,547円となりました。皆様のご理解ご協力に心から御礼申し上げます。引き続き、スリランカの子供たちの未来のため、皆様のご協力をお願いいたします。
また、10月にはスリランカ復興チャリティーコンサートを「この声に祈りをのせて」と題し青松寺観音聖堂にて開催する予定です。詳細が決まりましたら、お知らせいたします。

建築要項

建設費    4,830,000円
着工日    2005年7月18日
完成予定日 2005年10月20日
建設地    ランナ学校敷地内

校舎完成後の水道、電気代はスリランカ政府が請け負う。

【HDTDRDP】

正式名:Hambantota District Tsunami Disaster Relief&Development Programme
 (ハンバントタ地区津波被害災害救済および開発事業)
スリランカ、ハンバントタ地区の津波被災者救済や、津波被害復興に向けて住宅や生活などを支援する事業。スリランカ首相および、ハンバントタ地区国会議員であるマヒンダ・ラージャパクシャ氏、他の地域政治関係者、専門職協会委員、全国・国際機関にて構成されています。

mame2805.jpg1.スリランカ政府から青松寺獅子吼林サンガへの建築許可証

mame2806.jpg2.ランナ学校増築校舎完成図(認証済み)

mame2802.jpg3.ランナ学校

mame2803.jpg4.建設地

mame2801.jpg5.ランナ学校校長と現地事務局のワジル師

スリランカ津波被害 2005年4月

調査報告

青松寺獅子吼林サンガでは、サンガ生であるスリランカ僧のラブガマ・ナーラダ氏を中心に、津波で被害を受けた子どもたちの学びの場である学校の復興支援活動を行うことに致しました。その活動をはじめるにあたり、まずは現地状況の把握をする為、2005年3月7日より、サンガ生の石田泰淳、ラブガマ・ナーラダ氏が現地調査を行なって参りました。
以下はそのご報告です。
(執筆.石田泰淳)

1.調査日程

3月7日(月)

コロンボ国際空港着~ナーラダ、現地僧のアンブルアンベー・ワジラ・ブッディ師と合流

~カマル氏宅滞在(コロンボ)

3月8日(火)

コロンボから南部に移動、ペーラリヤ、ヒッカドゥワの被災地訪問

~マーベッラの学校調査(モラキャティアーラ小学校、スリースマンガラ小学校)

~タンガッラ泊。

3月9日(水)

モラキャティアーラ学校を訪問(マーベッラ)

~Regional Education Director(タンガッラ地域教育理事会)を訪問

地域教育理事長と面談。タンガッラ地域の学校の情報の提供をうける。

~カハンダモーダラ学校訪問(タンガッラ)~コロンボに戻る。

3月10日(木)

GREEN MOVEMENTを訪問(スリランカのNGO)、メンバ ーのヘーマンタ氏と面談

。被災地における活動、被災した学校の情報を提供していただく。

~セッシリパーヤ(SETHSIRIPAYA)(合同庁舎の道路交通開発部)を訪問、

道路交通開発部長と面談~首相府を訪問、

ベシル・ラージャパクシャ首相政治秘書官と面談。

ランナ学校(タンガッラ)の情報の提供をうける。。

3月11日(金)

立憲及び国家統合大臣を訪問、デューグナセーカラ大臣と面談

~日本大使館を訪問、秘書官と面談

3月12日(土)

コロンボから南部ランナに移動途中バラピティヤのガンガーラーマヤ寺院を訪問

~ランナ学校訪問(タンガッラ)

3月13日(日)

ナーラダの大学時代の恩師サマン・ラナシンハ教授(スリージャヤワルダナプラ大学)訪問、

今後の協力をお願いするチャンディ・ペレーラ教授(コロンボ大学)訪問、

カウンターパートについて協議~23:55発でナーラダ・石田共に成田へ戻る。

3月14日(月) 9:00 成田国際空港帰着


2.被災地域の状況

ペーラリヤ(ヒッカドゥワ)

sannga2913.jpgペーラリヤはヒッカドゥワの漁村で、約400世帯がほぼ全半壊し、約370人が亡くなったという。全半壊した家々の瓦礫、被災した人々の住むテントや仮設住宅がひろがる。2~3キロ先まで被害が広がっているという。特に目を引くのが、津波により列車が大破し、現在は3両を残すのみとなった無残な姿だ。その事故で約2000人が亡くなったという。

 何人かに話を聞くことができた。初老の男性は、家族4人を失い「人生なんてこんなもの」と投げやりな表情であった。仮設住宅に住む女性は「ガスコンロや鍋がほしい」と語っていた。中年の女性の息子さんは、列車に乗った人々を助けようとして二度目の波にさらわれてしまったという。人々に話を聞くと、政府からは1万ルピー(日本円で約9,300円。内訳:現金5千ルピー、5千ルピー分の生活必需品)以外は何も貰っていないと口々に言っていた。仮設住宅やテントは海外やNGOからの援助だという。

ヒッカドゥワ市内

ヒッカドゥワは人口2万人ほどの町で、美しい珊瑚礁とスキューバダイビングで有名な町。約200人亡くなったという。「BLUE DEEP」というレストランで働くメーナカ氏に話を聞くことができた。津波当日、メーナカ氏は友人と朝食をとっていた。9:20頃、人々が走り始め「海が溢れている」と誰かが叫んでいた。海にいってみると、珊瑚が見えるほど海が引いていて、また津波がくると感じ、全力で丘に走り助かったそうだ。市内には、1.5mほど海水がきたそうだ。町は一ヶ月半で日常生活が過ごせるまでに復興したようだ。以前からスキューバダイビングで観光に来ていた外国人の助けで町が復興したと話してくれた。

コロンボ~タンガッラ間

車で海岸沿いの道路を走ると、コロンボ郊外から、徐々に半壊した家など津波の傷跡が目に付き始める。特にヒッカドゥワからハンバントタにかけて、全半壊した家々や、被災者のテント、仮設住宅が目に付き、津波の影響の大きさを物語っていた。

na0402.jpg被災した家屋na0403.jpg瓦礫の山と化した家屋nar0404.jpg被災した町

3.学校調査

モラキャティアーラ小学校(マーベッラ)

この学校は、被災したスリースマンガラ小学校と暫定的に合併し現在は二人の校長により学校は運営されている。スリースマンガラ小学校の校長先生に話をお聞きした。合併前は生徒数117人、その内の30~40人の家は全半壊し、2人clip_image0024.jpgモラキャティアーラ小学校clip_image00221.jpg被災したスリースマンガラ小学校は母親と共に津波で亡くなったという。合併後は、家から学校まで4~5キロもあり学校に通えないなどの理由で、現在は80名ほどの生徒しか学校に通っていないという。政府に学校を造って欲しいと の願いをだしているが、政府では学校を合併しようという動きがあるらしく、思い通りにいかないようだ。学校に通ってこない生徒たちの未来を憂える校長先生の姿が印象的だった。モラキャティアーラ小学校の校長先生にも話をお聞きした。TVやパソコンが欲しいと話していた。それぞれ校長先生の話をお聞きして、学校合併問題の難しさを感じた。

Regional Education Director(タンガッラ地域教育理事会)

clip_image0023.jpgタンガッラ地域教育理事長との面談地域教育理事に津波の影響や被害を受けた学校の話をお聞きした。県内に津波被害を受けた学校が4校あるが(海岸から100メートル以内は建物を建てられないという法律により、内陸に移転する学校を含む)、そのどれもがジャイカやユニセフなどスポンサーが決まっているとのこと。津波に直接被害を受けた訳ではないが、被災した子供たちが通う学校で増築を必要としている学校ならカハンダとカハンダモーダラという地名に2校あるとこと。

カハンダモーダラ学校

nara0405.jpg被災した子どもたちnara0406.jpg老朽化した校舎100年以上の歴史をもつ学校。生徒数は143名で、内40人の子供の家は全壊したとのこと子供の親の多くは漁師で、現在はほとんど仕事がないらしい。生徒の中には 5キロも歩いてくる子供もいるらしい。学校が遠く、設備が整っていないことが不登校の原因になるらしい。5年生の教室、実験室、物置が欲しいと話していた。

GREEN MOVEMENT(スリランカのNGO)

コロンボ市内にあるNGO団体。普段は国内の洪水・水不足の問題に取り組んでいるヘーマンタ氏から話をお聞きした。被災した学校は、全壊・半壊・移動の3種類に分類でき、全壊や移動する学校は、すでにスポンサーが決まっいるため今から支援するのなら小規模の援助(トイレ、黒板、鉛筆、制服、靴)しかないとのこと。非常に好意的で、情報やマンパワーなど、こちらの望むものを提供してくれると話してくれた。

ランナ学校(タンガッラ)

clip_image0022.jpg校長先生との面談clip_image014.jpgランナ学校この地域で一番大きな学校で、生徒数は1872人、6~7キロの範 囲で通っている。親の仕事や家がなくなった子供が11人、被災した子供は71人。親の大半が農業や漁業を営んでいるらしく、豊かな地域ではないらしい。パソコンが30台あり 、音楽教師がいるなど教育 に力をいれているようだ。校長先生に話をお聞きした。前回は192人の入学希望があったが、校舎の問題から120人しか入学を認められなかった。二階建ての校舎があれば、150人の入学を認められるようになり、この地域の子供たちの教育にもっと貢献できるようになると話してくれた。

4、政府高官との面談

ベシル・ラージャパクシャ秘書官との面談(首相府)

nara0407.jpgセッシリパーヤの道路交通開発部長の紹介で、ベシル・ラージャパクシャ秘書官との面談が叶う。津波で影響を受けた学校の情報(ランナ学校)の情報をいただいた。

デューグナセーカラ立憲及び国家統合大臣との面談

nara0408.jpgかねてよりナーラダと電話で連絡を取り合っていたことから面談が叶う。今後の政府の政策として、1年間で10万軒の家屋を建てる計画、被災者に自立を助けるための資金援助する窓口を銀行につくる計画、被災者に対する食料も半年分の備蓄があること、感染症で亡くなった人は皆無など、気さくに様々なことを話してくれた。

5、今後の活動

青松寺獅子吼林サンガでは、今回の現地調査で得ることのできた情報を検討した結果、ランナ学校(スリランカ南部タンガッラ)における二階建て校舎増築に向けて活動していきたいと思います。

現地カウンターパートとして、代表はナーラダの大学時代の恩師でありスリージャヤワルダナプラ大学教授であるサマン・ラナシンハ氏、事務局はテラバーダ僧侶でありナーラダ氏の友人であるワジラ氏、会計はサマン氏ワジラ氏、メンバーはコロンボ大学教授であるチャンディ・ペレーラ氏、ナーラダの友人であり今回の調査に車や宿泊場所を提供して下さったカマル氏、以上の5名に協力を仰ぎ現地での活動を行っていきます。

現在の活動としては、青松寺山内(受処前)にスリランカ被災地の写真パネルと募金箱を設置し、募金活動をさせていただいております。今後の活動としては、青松寺ホームページでの活動状況の報告や、4月6日より行われる青松寺の花まつりの催しでの募金活動のお願い、青松寺並びにその檀信徒の皆様と力をあわせながら、この度のボランティア活動代表であるナーラダを中心に様々な活動を行っていこうと考えています。皆さまのご協力をお願い致します。

スリランカ 2005年2月

津波、そしてその後…

執筆 ラブガマ・ナーラダ 
スリランカ僧侶/8年前に来日し、2003年の秋より青松寺獅子吼林サンガ生
東京大学大学院アジア文化研究専攻にて経典の研究中

―津波、そしてその後…―

narada061top.JPG昨年末インド洋スマトラ島沖地震と津波の災害によりスリランカ人3万人以上が犠牲者となりました。 想像し難い災害で多くの人々が家族、親戚など一番身近な存在を相次いで亡くし、遺体が見付からない人も大勢いました。三千年にも及ぶスリランカ歴史の中でこれほどの災害犠牲者が出たのは初めてのことです。津波という言葉さえ殆どの人は知りませんでした。スリランカは島国であるため被害が海岸沿い一帯に広がり、村や町が跡形もなく流されてしまった地域もあります。幸いに命が救われ、難民所で生活を営むことができても、自分の身近な誰かを失っている人が殆どのようです。おそらくその人達にとり生きること、死ぬこと、何が良かったのかはしばらくの間、もしくは一生疑問に残るでしょう。そして残念なことに家族や親戚を失い、先が見えず自ら命をたつ人も少なくはないのです。

―気づいたこと―

今回の事件でほぼ全国民ができる限り互いに助け合い、民族や宗教に関係なく、皆同じ人間であることを改めて意識したようです。長い年月に渡る民族紛争で離れ離れになっていた一 般の国民が戦争の愚かさを実感しました。災害には民衆、宗教また貧富などが全く無関係で、無差別なものであるという事実に誰もが気づいたはずです。まさしくそれを思わせるようにひたすら無償で働く僧侶や一般の人々の姿が印象的でした。

―復興に向けて―

narada05.jpgこれまで女手ひとつで育ててくれた母親を失い、身寄りのない兄弟津波をきっかけに、日本をはじめ世界のあらゆる国々からスリランカにも援助物資が届けられました。これは全世界の多くの人々が何らかのかたちで援助をしようという温かい気持ちを持ってくれたことによります。今でも把握しきれない程の被害の中で最も悲惨な状況に置かれているのは幼い子供達です。スリランカの南部だけでも保護者が誰もおらず孤立した子供は80人以上にも昇ると政府調査により明らかになっています。そしてUnicefの報道機関によれば、北東部では難民になった子供約40人程がテロ武装組織(※1)に誘拐されたという情報もあります。全国の180校以上の学校が破壊され、子供の教育の場さえ失われているようです。このような状況では子供の保護・教育を優先する必要は極めて高いと思います。
 他のあらゆる復興ももちろんのことですが、教育が将来全てのものに反映することを考えると学校の復興を早急に実行したいと考えました。それに向けて現段階では青松寺獅子吼林サンガとして一校の校舎でも再建したいと思い、具体的な企画を立てているところです。幸い友人・知人よりお見舞金を寄せていただいておりますので、再建費用の一部にあてさせていただきたいと思っています。3月上旬よりサンガの一人と同行し、学校再建に向けて、一時帰国して詳しく現地の様子を調べてまいります。
皆様にも御協力いただけると大変ありがたく存じます。お力添え下さいますようよろしくお願い申し上げます。

テロ武装組織
1983年から「タミール解放虎」という武装グループが、スリランカ北部独立を目指しおこした紛争。犠牲者はこの20年間で6万人。3年前から停戦状態にはある。